樹月は、天倉家で一緒に住む事になった。
16歳である樹月は、澪と同じ学校の高等部へ編入した。
「みなかみ町からの転校生」で、用意した制服を初めて着てみる。
「ははは…似合ってるかなあ!?」
「樹月君、凄く似合ってるよ。
帽子もカッコいいなあ〜!」
「僕は目が弱くて学徒出陣することはなかったけれど、皆神村の下の村では同い年の子達もきっと戦争に狩り出されたんだろう…」
「うん…」
皆神村が滅びたのは、終戦1年後の昭和21年7月のことである。
「外の世界のことはよく分からなかったけれど、日本は負けたと聞いた」
「……」
「死んでいった生徒達の分まで、一生懸命勉強したいな。
まあ、今は夏休みだからあまり学校に行くこともないけれどね!」
そう言って樹月が笑う。
「それに、目が悪くても八重だけは遠くからでも必ず見つけられるよ」
「ふふふっ…冗談でも嬉しいかな」
澪と樹月は、夏休みの間目一杯遊び回った。
日本の経済が絶頂を極め、澪達の住む東京は誰しもがこの世の春を謳歌し、派手すぎる町並みと人だかりに樹月は驚きを禁じ得ない。
澪に連れられて渋谷や原宿を歩き、色々服を買ったり食事したりして楽しかったが、どちらかと言えば樹月には東京のわずかな自然に居心地の良さを感じた。
澪にとっては、戦前戦中の閉じられた集落でしか暮らしたことのない樹月の気質や雰囲気が古めかしく感じられたが、素朴で質素な様は家計の楽でない天倉家と同じであり、むしろ好感を抱いている。
そんな中、樹月が青いボディコン服のお姉さんが胸の谷間を大胆に晒し、揺らしながら闊歩するのに目が釘付けになると、澪は思わず樹月の頬を抓った。
そうかと思えば今度は澪が、芸能スカウトの男性に声をかけられスカウトされそうになるのを、慌てふためいた樹月が遮って止めた。
「あ〜びっくりしたよ!
まさか八重が、芸能界へ入ってしまいそうになるなんて…そんなはしたない事、させるわけにはいかないからね!」
樹月は興奮した自らの気持ちを落ち着かせるように、深呼吸して胸を撫で下ろす。
「ふ〜ん…樹月君だって、お色気お姉さんの胸の引力にくっついていきそうだったじゃない!?
それのがよーっぽど、はしたないように思えるけどなあ?」
澪は笑顔で、わざとらしく樹月を攻め立てるが、悪意はない。
「いやあ…皆神村ではあんな服装は許されるはずもないし、あまりにも刺激的でその…僕だって男だからさ…」
そういって樹月は赤面し、うつむく。
「お姉さんの胸が凄いのは分かるけど、出来たら私のわずかな色気も感じてほしいかな…これでもさっきのお兄さんに、声をかけられたくらいだし」
実は澪のが、道行く大人の女性からことごとく樹月に注がれる、好意のこもった視線に自分への自信をなくし、とても不安を駆り立てられていた。
「う、うん、勿論だよ!
八重と紗重は村一番の美人だったし、素敵な大人の女性になれるはずだから、僕には勿体ないくらいだ」
「本当…?」
「ああ…」
澪と樹月は、今まで繋がなかった手を互いに求め、繋ぎ合った。
古風な樹月がその日は夜まで澪を引っ張り、公園の木の陰で2人は初めて唇をひとつにしたのである。


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